金曜日(の14:50-18:00に開講されている授業・設計製図Ⅱ)が近付くにつれ、中身のない退屈な日々に鬱と強迫観念という攻撃性が加わる。

休養を取ろうにも設計製図Ⅱの存在が私を苦しめるのだが、こんな事を言う割に、レポートも模型も図面も何もしていない。時間はたくさんあるからやればいいのに。今もこんなカス文章を書いている。


単位制高校の時は定期考査で赤点を取ってもヘラヘラしていれば単位は容易く取得出来、それ以外の事項も基本的に先延ばし(放置)すれば何とかなった。しかし、設計製図Ⅱはヘラヘラでどうにかなる事項ではない。また、私が所属する大学では6年を超える在学は許されない。永遠の先延ばしは不可能なのだ。参った。

この当たり前の事実に気づいた私は人生を大学という機関に操縦されているような感覚に陥り(実際の所は全て己の選択・責任であるにも関わらず)、頭の中は“辞めたい”という4文字で一杯になった。


それでも精一杯に「①トレーに抗菌シートを載せ②肉の重量を測り③抗菌シートの上に肉を置き④ベルトコンベアーに流す」ような毎日を何とか乗り越えようと奮闘していたのだが、ある日臨界点に到達し、3日間、引きこもりという統合失調症の物真似をする羽目になった。


引きこもり1日目 夢心地だった。lo-fiを流しチルった。チルりながら、このまま全てがうまくいくと思った。コスメティック田中は微笑み、部屋中に花が咲いていた。

しかし2日目の午後には狂いはじめた。いや、1日目から既に狂っていた。花だと思っていたそれは自分が鼻をかんだティッシュだったのだ。埃がいつのまにか積もるように、私も気づかぬうちに狂っていた。

あんなに好きだったコスメティック田中も何時間も見ていればうんざりするし、液晶の中のPDSに話しかけてもアィッとか訳の分からない奇声しか返してこない。

部屋は密閉され、病人の匂いがぷうんと匂っていた。


 2日目の日の夜、私はレジ打ちのバイト帰り、電車に乗ろうとしたのだが、その途端、私は家にいた。どういうことだ?通常1錠の薬を7錠も飲んでいたようだ。あの電車は幻覚だったのだ。引きこもりをしていたのだから外出などしていなかった。薄く霞んだ視界の中、なんとかして幻覚を追い出そうと、手をジタバタと動かしたり、瞼で涙を弾いたりしたが、ぼやける視界は変わらなかった。全身が、虫歯でアイスを食べたあの時みたいじいんとした痛みに襲われた。畜生が…もうダメかもしれない…そう思いながら気絶するように眠った。

3日目、私は海に抱き込まれるマナティのように布団の中で漂っていた。



私は夢を見た

ポテトの夢だ。


メニューを睨む暗闇の中の私 暗闇を照らすマクドナルドの女の微笑み ポテトが揚がったことを知らせる宇宙の音色


目が覚めてからもポテトのことを考えていた。

ポテトを作るために百姓が芋と油菜を育て、八百屋が買取る。そして油菜は油屋へ芋はポテト屋の手に渡る。油屋は油菜から油を抽出し、その油はポテト屋の手に渡る。ポテト屋は芋の皮を剥き、油屋の油で揚げる。

あのポテトは、一体何人の人間の手を経たのだろうか。あのポテトが、何人に職を与え、何人の腹を満たし、何人を喜ばせたのか。何と美しいことか…これは、この星の宝だ。



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(ポテトの夢を見たのは、おそらく統計学でこのスライドを見たからであろう)

統計学 ありがとう 統計学を学ぶ意味ってこういうことだったんだ

ああ このままではいけない


私は自分の頬を5回叩き部屋を出た

冬は考え事をするのにはもってこいの季節です。時間がきゅうっと引き締まるし、物事は澄んではっきりと見える気がします。

 

(思い出した場面を時間に沿って並べてみれば、その兆候はずっと前に現れていたのですが、)ここ最近は、ひどい破滅願望と数年来の積み重なったストレスによる抑うつ症状で精神的に不安定でした。

私は明るく、ポジティブな、そういったことには無関係な人間だと思っていたのですが、実際のところは回避能力は高いだけで乗り越える力は低い人間だったようです。(ポジティブは、そういった狡賢さでは無いと思う)

もっと早く自分の特性を認識していれば、どうすればよいか悩むことも、回復までの時間も少なかったのかな。今はまだ完全には回復していないのですが、これくらいの文章を書ける程度には元気になりました。

 

 うまく言い表せないけれど、「どこからどこまでが自分なのか分からなくて、いつか居場所がなくなってしまう感覚」みたいなものが自分の中にありました。はじめは大したことではなかったのですが、だんだんホコリのように積もっていって、ひどい時は24時間漠然とした不安に支配され、精神だけでなく、肉体もボロボロでした。

さすがにどうにかしようと思い、自分とそれ以外の境界を作るべく奮闘していたのですが、回復するどころか悪化してしまいました。あのときは本を読むことすらままならなくなって、とてもつらかった。周りから怠け者だと思われることがつらかったです。

そのあとは色々あったのですが、信頼している方と話したり、精神病の人の作品を観て、自分の症状について考えていくうちにしだいに回復しました。私とかかわってくださったひと、もの、そうじゃないなにかのみなさまありがとうございます。

 

ええと、この話はここまでにします。なんでこの文章を書いたかというと、別につらい話を書きたいわけではないです。ではなぜかというと、先日豊洲に散っていた電灯の光が、美しく、あたたかい銀色で、それを見ているうちに絡まっていた糸がほどけるような心地がしたからです。

感動する神経が舞い戻ってきたという喜びについて書きたかったのです。

世界は明るく照らされて、やさしさの時代に突入しました!

すごくすごくすごく過去のことを考えちゃうのは、過去に執着しているというよりもこれからの人生でどんどんつまらなくなっちゃうことへの恐怖からだと思った

彼らの中には今はない私の破片が残っている、記憶の中の彼らを辿って、なんとか忘れ物を持って帰りたいけれど、輪郭が曖昧でふわふわつかみようがない

この間嫌いだと思っていた高校の同級生と会ったけど、その時の私はちゃんとメイク完璧だった どういうことだ 言葉よりも行動の方がよっぽど信じられる気がする